yumekago

今日という日の先に

爽やかな風が新緑の木々を揺らす心地良い気候。
眠たくなるほどの春光に包まれた穏やかな空気の中、私はやや緊張した面持ちで待ち合わせした橋の袂に立っていた。

なまえ!」

足元に視線を落として深く呼吸をしていたところに不意に聞こえてきた声に顔を上げる。

「煉獄さん!」
「変わりないか?」
「はい、煉獄さんもお変わりないですか?」
「ああ!」

駆け寄ってきた煉獄さんを見上げる自分の顔が緩んでいるのが自分でわかる。
恥ずかしいけど、煉獄さんの姿を見ていたいという気持ちには勝てない。

「今日はなまえが案内してくれるのか?」
「はい!」
「それは楽しみだな!」

煉獄さんの問いかけに深く頷きながら力強く返事する。
勢い良く返事をしたのは、自信があるわけではなくただ単純に自分を奮い立たせるためだ。

にっこりと笑う煉獄さんに瞬間的に目を奪われるが、すぐに意識を取り戻して「行きましょう!」と歩き出した。

「立派な建物ですねぇ⋯」

堂々と佇む豪宕で絢爛な歌舞伎座を見上げて思わずため息が出る。

「来るのは初めてか?」
「はい」

恥ずかしながら舞台芸術に触れる機会など生まれてこの方ほとんどなかった。
好きな演目や役者以前に観劇のお作法すらも全然知らないけれど、煉獄さんが好きなものに少しでも触れたいというのが乙女心だ。

「初めてなので楽しみです!」
「そうか!俺も観劇は久しいから楽しみだ!」

楽しそうに笑う煉獄さんの顔が見れるだけで嬉しい。
同じように笑顔を返して、煉獄さんに続いて歌舞伎座の玄関を潜った。

途中歌舞伎座に併設された食事処で昼食を挟みながら2公演を立て続けに観劇して、歌舞伎座を出たのは間もなく夕暮れという時間だった。

「楽しかったか?」
「はい!限られた空間であんな風に色々な世界が見られるなんて⋯」
なまえはずっと驚いてたな!」
「あまりの迫力に圧倒されっ放しでした」

一緒に歌舞伎を見れたことはもちろんだけど、こんな風に取るに足らない感想を言い合えることすらも幸せだなと思う。

普段から明朗な煉獄さんだけど、歌舞伎の話をしているときは殊更溌剌とする。
そんな姿を見せてくれることにも心が踊る。

「夕食は食べていけるか?」

煉獄さんの横顔をニヤけながら眺めていたら、不意に煉獄さんがそう尋ねてきた。

「時間は大丈夫です!けど、あの⋯」

時間はもちろん平気なのだけど。

「?どうした?」
「あの⋯、⋯ち、に⋯」
「ん?」

煉獄さんの真っ直ぐな視線から逃げるように、目を伏せながら恐る恐る発した言葉は煉獄さんに届かなかったようだ。
グッと唾を飲み込んで、ギュッと目を瞑って声を振り絞る。

「⋯もし良かったら⋯うちに、来ませんか⋯?」