TSUKI
千寿郎から知らせを受けてなまえの自宅へ向かった杏寿郎を出迎えたのは、整った身なりをした初めて見る顔の青年だった。
『あなたが杏寿郎さんですか?』
『ああ、君は?』
『なまえさんの婚約者です』
『そうか』
挨拶もそこそこに、杏寿郎はなまえの父の元に走る。
『杏寿郎くん、すまないね』
『いえ、それで心当たりは?』
杏寿郎の問いに、なまえの父は肩を落として首を振る。
『いなくなる直前まで普通だったんだ』
『いなくなった時刻は?』
『昼過ぎに出かけたまま、それっきり⋯。夕刻になっても姿が見えないものだからてっきり君の家にいるのかと思っていたが⋯』
『千寿郎は今日は見ていない、と』
『そうか⋯』
日が沈んで深みを増していく夜空を仰ぎ見て、杏寿郎は眉間を寄せる。
闇夜は鬼を呼ぶ。
最悪の事態になる前に、なまえを探さなければ。
『町の外は俺が見てきます』
それだけ言い残すと、杏寿郎は勢い良く飛び出して行った。
どうしていなくなった?
消え入りそうな声で『いらない』と呟いたのは、俺のことだったのか、それともー⋯。
答えの出ない問いを頭の中を巡らせながら、町を抜けて山へ入る。
気持ちばかりが焦って、普段なら音も立てず障害物にぶつかりもせずに通る獣道に何度も足を取られる。
どうか、どうか、何事もないように。
君が無事であってくれたなら、それ以上は何も望まない。
君が笑っていてくれるのなら、そこに自分がいなくても構わない。
『結婚が決まったの』
そう言って微笑んだなまえを見て、生まれて初めて後悔した。
過去を振り返らずに前へ進むことが自分の信念だったのに。
もし、俺が柱になっていたら。
もし、俺が想いを伝えていたら。
巻き戻せない時間を何度も振り返って、あの時ああしていたらなんて無意味な仮定を繰り返して、そんなことをしても意味など何もないことはわかっているのに。