yumekago

互い違いに枷をして

どんな毎日を過ごしていたとしても、時は進む。
季節はまた少し巡っていて、気が付けばヒヤリとした冷気を纏った風が流れる時期に差し掛かっていた。

「私そろそろ帰りますね」

夕食を終えて食器を片付けたなまえが、濡れた手を抜きながら居間に顔を出す。

割烹着を脱ぎながら帰り支度を始めたなまえをボンヤリと眺める。

なまえが飽きもせず毎日顔を出しているからあまり気にしたことはなかったが、朝から夜まで男の家に入り浸っていてなまえの家族は小言を言わないのか。

もちろんこの状況は俺がそうしてくれと頼んだ結果のことではない。
それでもさすがに嫁入り前の娘を手伝いに越させていることに、今更ながら良識を責められる気持ちになる。

不本意とはいえ、一言くらい挨拶をしておくのが世間一般の常識だろう。

「戸締まり忘れないでくださいね」
「送ってく」
「えっ」

身支度を整えて玄関でそう向き直ったなまえを追いかけるようにそう告げて、奥から羽織を取ってくると肩から掛けて草履を履いた。
なまえは突然の申し出に驚きながらも、嫌がる素振りは見せない。

日が落ちた戸外に出れば、昼間より冷気を増した風が身体を通り抜けていく。

「すっかり涼しくなりましたねぇ」
「寒いの間違いだろ」
「その言葉を使うのはまだ早いです。これからもっと寒くなりますから」
「⋯前向きなんだか後ろ向きなんだかわかんねェな」

隣を歩くなまえを一瞥すれば小さく鼻を啜りながらも楽しそうに笑うなまえがいて、無意識に口角が上がる。

「夜道をこんな風に並んで歩くのは初めてですね」

夜空を見上げながら歩いていたなまえが突然こちらを振り向いてそう笑顔を見せるから、一瞬言葉に詰まる。
不意に視線が交錯したことに動揺が走って、出かけた言葉が器官に詰まって小さく咳払いした。

「そーかァ?」

かろうじて出た声でそう返せば、なまえは一瞬不思議そうな顔をするが、さらりと流して会話を続ける。

「私達は、すべてが終わった後に現場へ行くのが常でしたから」
「それが隠の仕事だからなァ」
「⋯私、不死川さんの現場へ向かうの、結構好きだったんですよ」
「は?」

唐突に呟かれたなまえの言葉に、今度は俺の目が丸くなる。

当のなまえは間抜けな声を上げた俺をチラリと見上げて、フフッと小さく笑って視線を落としながら続ける。

「不死川さん、人がいないところへ鬼を誘き寄せてくれていたから」
「⋯片付けが楽だったってことか」
「良い意味で、です。犠牲が少ない方が、やっぱり嬉しいですから」

パッと顔を上げたなまえは柔らかい微笑みを浮かべていて、思わずその笑顔に瞳が釘付けになる。

「たくさんの人を守ってくれて、ありがとうございます」
「ー⋯」

降り注ぐ月明かりのような静かで穏やかな笑顔で、なまえがそう告げる。

『ありがとう』という言葉を言われたことは何度もあった。
鬼殺隊の隊士たちにも、藤の家の人間にも、お館様にも、何度も言われた言葉だった。

それでも、ずっとその言葉を素直に受け止められなかった。

俺は、家族も、親友も、仲間も、生き残ったたった一人の弟ですらも、守りきれなかった。

守りたいと思った命は一つ残らず掌から零れ落ちていって、日々の戦いの最中で供養したり懺悔したりする暇すらもなくて、守りきれなかった命に背を向けて、ただただ前だけを見ていた。
そうすることでしか、生きられなかった。

振り返ることで、失ったものの大きさを自覚することが怖かった。
どれだけ悔やんで悲しんだところで二度と元に戻ることがないのなら、もういっそ振り返らずに、死ぬまで前を見て歩き続けた方がずっと楽だった。

振り返ることもしないから、自分の進んできた道の上に何が残っているのかもわからない。

進んできた道の上に何も残らないような人生に、意味があったのかわからなかった。

俺は、守れていたのか?

死んでいった仲間が守りたかったものを、お館様が守ろうとしていたものを、誰かが守ってほしいと思っていたものを。

失ったものが俺にとって掛け替えのない存在だったように、誰かの掛け替えのない存在を、支えになっているものを、俺は守れたのか?