yumekago

互い違いに枷をして

「っ」

急激に上昇した体温と速度を増した鼓動を自覚して、諦めにも似た心境に陥る。

ほとんど無意識に伸ばした手をなまえの頬に添えると、なまえが驚いたように息を呑んで目を見張る。
親指で頬を撫でれば、なまえの顔に一気に緊張が走ったのが掌から伝わってきて苦笑した。

「嫌なら止めろォ」

短くそれだけを告げて、ゆっくりと距離を詰めていく。

その速度は牛歩の如く限りなく遅くて、なまえが自身の手を割り込ませたり身を捩って逃げ出したりする程度の余裕は十分にあった。

なまえの腰に回した手にも頬に添えている手にも、全くと言っていいほど力は込められていなくて、逃げようと思えば簡単に振り解ける。

例えなまえが逃げなくても振り解かなくても、突然のことに混乱して動けないでいるであろうなまえが正気を取り戻すまで、そのまま距離を保つつもりだった。

それなのに。

「ー⋯」

戸惑って揺れるなまえの瞳がわずかに潤んだと思ったら、一度小さく唇を噛んで酸素を吸い込んでから、なまえがそっと瞼を閉じた。

なんで目を瞑るんだなんて悪態が脳裏を過ぎるが、身体は別の生き物にでもなったかのように言うことを聞かなくて、気が付けばなまえの唇に自分のそれを重ねていた。

触れた箇所から伝わる柔らかく温かいその感触に、否が応でも身体が反応する。

「っ⋯」

触れるだけの口付けを交わして顔を離せば、なまえがゆっくりと瞳を開ける。

水分を含んだなまえの瞳が光を反射しながらわずかに細められて、柄にもなく綺麗だなと目を奪われた。

「⋯止めろよバカ」

最後の抵抗とばかりに憎まれ口を叩いたが、なまえは真っ直ぐに俺を見据えてから、頬を染めて慈愛に満ちた顔でゆったりと微笑んだ。

だからなんで、そんな優しい顔で笑うんだ。

先程とは違う強い力でなまえを引き寄せると、なまえの頭に手を回して再び唇を重ねる。

柔らかい唇を舐めるとわずかにそこが開いて、その隙間から舌を挿し入れる。
奥で震えていたなまえの舌に自分のそれを重ね合わせると、角度を変えながら繰り返し口内を舐った。

なまえの舌から伝わってくる甘さは味見したおはぎの餡なのか、なまえ自身の味なのか。

徐々に熱を帯びてくる唇の柔らかさと深く求めるほどに増す甘さに頭が沸騰して、暴走しそうになる身体と飛んでいきそうになる理性をなんとか手繰り寄せる。

ーチュッ⋯

小さな音を立てて唇を離せば、なまえが肩を上下させながら熱のこもった荒い息を吐き出す。

傍目から見てもわかるほど赤く染まった頬と水分を含んで潤んだ瞳をしたなまえに、背筋がぞくりと粟立つ。
こういう表情は見たことなかったなと意識した途端に、別の顔も見たくなる。

人間の欲は際限がねェんだ。

「⋯俺に未練ができたらどうしてくれんだァ」

仏頂面で拗ねるようにそう言うと、胸を抑えながら呼吸を整えていたなまえは一息吸い込んでから躊躇いもなく言葉を返す。

「傍にいます。⋯赦されるなら、最期まで、あなたの傍に」
「ー⋯」

あぁ、それも悪くねェなァ。

その気が抜けるような笑い顔を見ながら、爽籟のような声を聞きながら、俺の掌に収まるような小さくて温かい手に繋がれたままくたばるのも悪くねェ。

ただ一つだけ心残りがあるとするなら。

なまえ、お前を残して逝くことだけだ。

どれだけの時間を過ごしても、どれだけの言葉を伝えても、俺が死んだらなまえはきっと後悔を抱えて生きていくんだろう。

そのとき俺は、お前に何をしてやれる?
慰めの言葉をかけることも、涙を拭ってやることも、隣で寄り添ってやることも、抱きしめてやることもできねェ。

それでもなまえ、お前には未来を向いて生きていってほしいと思っている。

勝手でも傲慢でも、それだけは譲れねェ。

それだけの枷をお前に背負わせるなら、それならせめて俺は、1日でも1時間でも1秒でも、長く生きていかなきゃなんねェよなァ。

「⋯不死川さん?」

不安気な表情で俺を呼んだなまえに小さく笑みを返して、その身体を抱き寄せる。
大人しく俺に身体を預けるなまえのその重みに酷く安堵して、それが妙に心地良くて息をついた。

「⋯お望み通り、生きてやらァ」

耳元でそう囁けば、なまえの肩から力が抜けて小さくフッと息が漏れる気配がした。

誕生日にとんでもねェ贈り物しやがって。

そう小さく愚痴を零すと、嬉しそうに微笑むなまえの顔を持ち上げて再び唇を塞いだ。