背中合わせの恋煩い 第3章
「杏寿郎さん」
突然聞こえてきた穏やかな声色にパッと顔を上げる。
おしぼりと湯呑みが乗せられた盆を持って縁側に立ち、こちらに微笑みかけていたのは。
「なまえ⋯」
「お疲れでしょう?おしぼりと白湯をお持ちしました」
そう言って縁側に盆を下ろすと、下駄を履いて庭に下りてくる。
「疲労回復にいいと聞いたので、檸檬と砂糖で味をつけたんですよ」
そう言って湯呑みを差し出して微笑んだ。
胡蝶や甘露寺に見せていた、俺には向けられたことのないあの笑顔で。
思わずその頬に手を伸ばす。
親指で頬を撫でると、なまえは少しくすぐったそうに目を細め、少し視線を彷徨わせてから遠慮がちにこちらを見上げる。
恥ずかしそうに微笑むなまえに心が忙しなく騒つく感覚に襲われる。
頬に滑らせた指を伸ばして白い首に手を回し、わずかに力を込めればなまえとの距離が容易く縮む。
唇が触れるか触れないかの距離まで近付いたところで、なまえが伏せていた瞳をそっと開けた。
硝子玉のような瞳に映っていたのは、紛れもなく自分自身だった。
しかし。
その瞳の中にいる俺は、まるで何かを訴えるかのようにじっとこちらを見つめていた。
それに気付いた瞬間、体が燃え始める。
目の前にいたなまえは驚いたように目を見張りこちらに手を伸ばしてきた。
その手を掴み掌に頬を寄せて軽く口付けると、炎の向こう側でなまえが柔らかく微笑むのが見えた。