背中合わせの恋煩い 第3章
「では、行ってくる!」
隊士が戻らないと連絡を受けた地へ赴く日、まだ日も上りきっていない早朝だというのになまえは見送ってくれた。
「どうか、ご無事で⋯」
歩き出してから一拍おいて聞こえた小さな声に振り向く。
隊服を着ていなければ、鬼を殺すことを生業にしているとは到底思えないその姿に思わず笑みが溢れる。
心配そうに見送るその視線は決して俺だけに送られるものではないだろうけれど、それでもこんなにも心が満たされる。
首元にかけた香袋に隊服の上から触れる。
詰襟の隙間からほんのりと届く香りは穏やかで、どことなくなまえを彷彿とさせた。
つい先程、玄関先でなまえに伸ばしかけた掌を見つめる。
ここ半月ほど、なまえの様子がおかしいのは気付いていた。
家事は完璧なまでにやってくれるものの、極力目を合わせず、当たり障りのない会話しかしない。
いや、ここ半月ほどに限った話ではない。
ほとんど強引に結婚にこぎつけてから、なまえの様子が以前とは違っていることには気付いていた。
そもそもこの関係自体、既成事実を盾に迫ったものによるのだから無理もない。
それでもここ半月ほどはそれが顕著で、だからこそ久しぶりに視線が交わったことが嬉しくてつい手が伸びた。
柔らかな頬に触れて、その体ごと胸元に抱き寄せて、艶やかな額や唇に口吻できたらどんなに幸せだろうか。
しばらく会えなくなるという状況に想いが募り、ほとんど無意識に伸ばした手は、なまえの怯えたような仕草を見てピタリと止まった。
伸ばした手は着地点を探してしばし彷徨った後、無難になまえの髪に触れる。
自分のそれとは違う、柔らかい髪の毛の手触りを確かめるように数回ポンポンと触れてゆっくりと離した。
そんな束の間の触れ合いだというのに、この掌はその感触をしっかりと覚えていることに苦笑する。
髪だけではない。
もう随分前のことだというのに、唯一体を重ねたあの夜の熱も声も匂いも、すべてをはっきりと思い出せる。
こんなに一人の人間に心を囚われたのは記憶にある限り初めてのように思う。
足だけは動かしながらもそんなことをボンヤリと考えていたら、いつの間にか駅に着いていた。
時刻表を確認すると、目的地までは汽車を乗り継いでも数日はかかる計算だ。
「長旅になりそうだな」
思わずそう漏らせば、後方で羽ばたいていた鴉が肩に下りて頭を擦り寄せてくる。
まるで猫のような甘え方につい笑いが溢れ、頭を二度三度撫でてやれば満足気に目を細める。
「被害が拡大する前に片付けよう!」
「カー!」