背中合わせの恋煩い 第2章
「みんな、よく来たね」
「はっ!」
穏やかな所作で現れたお館様に、柱一同は地面に膝をつけて頭を下げる。
「今回も同じ顔ぶれで集まれたことを嬉しく思う。
特になまえは、下弦の鬼を倒したと聞いたよ。頑張ったね」
「ありがとうございます」
お館様の労いの言葉に、さらに深く頭を下げた。
「ー以上で今日の会議は終わり。次回もここにいる全員の参加を願っているよ」
「はい!」
奥の部屋に去っていくお館様の後ろ姿を見送って、見えなくなったところでそれぞれ立ち上がると帰り支度を始める。
早々と身支度を整え屋敷を出ようとしたところで、不意に声をかけられる。
「みょうじ」
「⋯煉獄さん⋯」
「少し話がしたい」
「⋯はい」
有無を言わせない強さを秘めた瞳に真っ直ぐに見つめられては逃げ出すことも叶わず、観念して頷いた。
それを見た煉獄さんは少し緊張を緩めると「少し歩こう」とだけ言って颯爽と歩き出した。
言葉を交わすこともなく、ただ黙って前を歩く煉獄さんの背中を見つめる。
あの晩。
快楽の中で必死に手を回した背中。
上気する頬や体に降りかかってきた杏色の髪。
敏感に跳ね上がる体を幾度も優しくなぞった指。
本能が赴くままに貪るように口付けて、私の名前を呼んだ唇。
前を歩く煉獄さんの姿を見ただけで、あの夜の熱をこんなにもはっきりと思い出してしまうなんて。
浅ましすぎて情けなくなる。
お館様の屋敷から四半刻ほど歩いて煉獄さんが立ち止まったのは、木々に覆われた静かな庭園だった。
「みょうじ」
「は、い」
小さな池のほとりにある休憩所まで歩くと、煉獄さんが不意に振り返った。
「まず、君に謝りたい」
「えっ」
「あの晩、欲に駆られて君を抱いてしまった。すまなかった」
「れ、煉獄さんが謝る必要なんてありません!自分の責任です⋯」
深々と頭を下げた煉獄さんの肩に手を当て、頭を上げるように促す。
ようやくゆっくりと頭を上げた煉獄さんは、一呼吸置いた後に真っ直ぐに向き合って「それで」と言葉を続けた。
「君に結婚を申し込みたい」
「え⋯」
「遅くなってしまってすまない。父上の許可をいただくのに手間取った」
ああ、やっぱり。
「結婚後も鬼殺隊を続けたいのなら反対はしない。君のやりたいことをしてもらって構わない」
「っ⋯」
煉獄さんはそういう人だ。
いつだって真っ直ぐで、誠実で、決して有耶無耶になんかしない人。
でも。
「⋯煉獄さん」
「なんだ?」
「あの晩のことでしたら、責任を感じる必要はありません。
私が煉獄さんに無茶なお願いをしたんです。すべて私の責任です」
どうか、こんなつまらないことで未来を潰さないで。
あなたはいつか、一生を共にしたいと思う素敵な人と出会うだろう。
最愛の人との間に子どもを授かって、幸せな家庭を築いて、そしてその血を未来へつなげていく人なのだから。
「私は気にしてませんから、忘れ「俺が責任を取りたいんだ」
私の言葉を遮って、煉獄さんがハッキリとそう言った。
「このままなかったことにするのは心苦しい」
「でも⋯」
「それに」
煉獄さんは一旦言葉を区切って、わずかに迷いを含んだ声色で続けた。
「公的な組織ではない鬼殺隊に対して理解のある人ばかりではない。
将来君が嫁いだ先で、その⋯男性経験があるということが明るみになった場合、風当たりがさらに強くなることも考えられる」
煉獄さんの言うことはわかる。
特に良い家柄であればあるほど貞操観念を求める傾向が強いのは事実で、実際にそれが原因で離縁された事例も耳にしたことがある。
言葉に詰まった私を見て、煉獄さんは眉を下げて微笑む。
「責任を取りたいんだ」
よく通る声でそう言って、煉獄さんは俯いたままの私を抱きしめた。
どこで間違えてしまったんだろう。
順序さえ違ったならば、この申し出を心の底から幸せだと思えたのに。
煉獄さんの未来を奪うことなんてしたくなかったのに。
浅はかにも一時の欲求を解消するためにすぐ傍にあった手段に手を伸ばしてしまった自分への、これは罰なのだろうか。
それでも。
煉獄さんの腕の中にいることに、こんなにも心が満たされる。
煉獄さんの心がこの腕の中にないことはわかっているはずなのに、この温もりを感じられるのならそれでもいいとさえ思ってしまう。
なんて浅ましいのだろう。
自分への嫌悪感を無理やり抑え込んで、私は小さく頷いた。