こごえる唇
鬼の気配が消えたことを確認して、岩陰に蹲っている少女に声をかける。
「もう大丈夫ですよ。立てますか?」
「あ⋯、足が⋯」
こちらの問いかけに恐る恐る顔を上げた彼女は、幾分緊張を和らげながらも申し訳なさそうな相貌を浮かべてそう告げた。
先程は気が付かなかったけれど、落とされたときに挫いたのだろうか。
断りを入れて彼女の足首に触れると、腫れて熱を持っているのが掌から伝わる。
身体が冷えている彼女をすぐにでも温めてあげたいけれど、少女とは言えそれなりの体格の人間を背負って初見の獣道を下るのは危険が伴う。
任務が完了したことを報告すればすぐにでも隠が来てくれるだろう。
そう判断して鴉を飛ばすと、羽織を脱いで彼女の身体を覆う。
「少しだけ我慢してください。すぐに助けが来ますから」
「はい⋯」
震える彼女の身体を羽織の上から抱きしめる。
さほど体格の変わらない私が抱きしめたところで夜風を完全に防げるわけではないけれど、それでも何もしないよりはましだろう。
羽織の上から身体を擦りながら、彼女が意識を失わないように小さく声をかけ続けていたら。
ふと人の気配がして、顔を上げた。
鴉を飛ばしてからほとんど時間は経っていない。
随分と早いけれど、どこかで待機していた隠がもう来てくれたのだろうか。
そう思って、身を潜めていた岩陰から顔を出した私の目に飛び込んできたのは。
「煉獄さん」
「っ、無事か!」
声を発するとほぼ同時に煉獄さんの視線がこちらに向いて、珍しく息急いた様子で駆け寄ってくる。
「怪我はないか?」
「はい。私より彼女が⋯」
そう言って地に蹲って震えている彼女に視線を投げると、煉獄さんは安堵したように息をついて普段の軽快な口調で応える。
「まもなく救援が来る。もう安心だ!」
「良かった⋯。ところであの青年は⋯」
「怪我の状態は酷かったが、命に別状はない。君の判断が正しかったな!」
「ありがとうございます」
思いがけないお褒めの言葉にわずかに緩んだ頬を誤魔化すように微笑むと、不安気な表情を浮かべていた少女の隣に膝をついて震える身体に手を当てる。
「お兄さんも助かったみたいです。よく頑張りましたね」
「お兄ちゃん⋯、良かった⋯」
「もう少しの辛抱です」
緊張を解いた彼女の目から大粒の涙が溢れるのを静かに見守っていたら、息を切らせて走ってくる隠の姿が見えた。
「お疲れ様です!怪我人は⋯」
「彼女をお願いします。軽傷ですが、川に落ちたので身体が冷えていて⋯」
「わかりました!」
続けてやってきた隠が持ってきた毛布で彼女を包めば、ようやく彼女の顔に少し色が戻るのが見えて胸を撫で下ろす。
彼女の身体に掛けていた外套やら羽織やらを抱えて立ち上がる。
水分を含んで冷えているけれど、これは家で洗濯して干せばいい。
そう思っていたのに、一部始終を黙って見ていた煉獄さんが不意に動いて、私の手から濡れた衣服を取り上げると近くにいた隠に手渡した。
「すまないが、これも洗ってやってくれないか?」
「もちろんです!新品同然にしてお返しいたします!」
「ありがたい!君たちにはいつも助けられているな!」
満面の笑顔を浮かべてそう言い切った煉獄さんを前に、隠たちは頬を染めたり萎縮したり姿勢を正したりと百面相を浮かべている。
隠たちの気持ちがわかるな、なんて思いながらその光景を眺めていたら。
「では、我々は先に下山します!」
「何かありましたらまた呼んでください!」
少女やら濡れた衣類やらを抱えた隠たちに頭を下げられて、慌ててこちらも一礼を返す。
去り際に、隠に担がれた少女がこちらを向いて微笑みながら、小さな声で「ありがとう」と告げたのが耳に届いて、つられるように表情が緩む。
少女に手を振りながら、下山する彼らの姿が見えなくなるまで見送ったところでようやくホッと息をついた。