ふつつかな愛ですが
ひとしきり泣いて落ち着いた私は、「風邪をひいてしまうぞ」という煉獄さんの声に髪が濡れたままだったことを思い出して、慌てて距離を取る。
髪を乾かそうと取り出したドライヤーをやんわりと奪われて、促されるままにソファに座る煉獄さんの足元に座る。
ドライヤーのスイッチが入ると、室内に温かい空気とファンの音が満ちた。
煉獄さんに髪を乾かしてもらうという贅沢な待遇に畏まりながら、頭を撫でるように動く指が気持ち良くてマッサージを受けているような心持ちになる。
ドライヤーの風に煽られて踊る髪からふわりと漂ってくるシャンプーの甘い香りと暖かい空気、煉獄さんの丁寧な指の動きに眠気を誘われるのをなんとか堪えること数分、カチッという音とともにドライヤーが止まった。
「なまえ」
ドライヤーを脇において手櫛で髪を整えてくれていた煉獄さんが、突然私を呼ぶ。
床に座ったまま振り返った私の手をとって引き上げると、煉獄さんは少し後ろに下がるようにソファに深く座り直して、足の間に私を横抱きに座らせてから静かに口を開いた。
「正直に言うと、俺は誕生日をあまり特別に思ったことがないんだ」
「⋯そう、なんですか?」
「皆が祝ってくれることは嬉しいし有難いと思う。一般的に、誕生日が特別な日ということも理解している」
「はい⋯」
「ただ、俺にとっては、誕生日もそうでない日も、等しく大切な日常なんだ」
少し躊躇いを含んだ瞳で語る煉獄さんの意図が読めなくて、次の言葉を待つ。
私を慰めようとしてくれているのだろうか。
もしかしたらその意味もあるのかもしれないけれど、煉獄さんはどこか自分自身に語りかけているようにも見える。
「それは今も変わらない。ただ⋯」
「⋯ただ⋯?」
「君に会えなかったこの数週間は、どうにも無味乾燥な日々だった」
そう言うと同時に背中に回された手に力が込められて、煉獄さんがコトンと頭を傾けた。
色鮮やかな赤と黄の紅葉を散りばめたようなふわふわの髪が顔にあたって、少しくすぐったい。
私の鎖骨に頭を寄せるように背中を少し丸めて抱きつく様は、恋人を抱き締めているというよりは、等身大の柔らかいクッションに顔を埋めて甘えているように見えて、あまり見ることのない姿に不謹慎だけど胸が鳴ってしまう。
会うのだって久しぶりなのに、こんな風に隙間がないほど身体を寄せ合っていればそれも致し方ないことだと思う。
そんなこちらの心情を知ってか知らずか、煉獄さんはこちらを窺うように顔を横に向けてチラリと視線を投げてくる。
「今年に限っては、誕生日を心待ちにしていなかったと言えば嘘になる」
悪戯っぽい瞳をこちらに向けながら語られた台詞に、うっと息が詰まる。
あんなに大見得を切って祝うと宣言していたんだから当然だろう。
どう考えても全面的に私が悪い。
「ごめんなさい⋯」
消え入るような声で謝罪すると、一拍おいて煉獄さんが吹き出すように笑う。
「すまない、意地の悪い言い方だったな」
「いえ、私が悪いことは事実ですから⋯」
「誤解しないでくれ。君を責めているわけじゃないんだ」
クツクツと笑いながら身体を起こした煉獄さんは、居た堪れなさを感じて視線を落とした私の頬に手を添えて少しだけ力を込めて持ち上げると、もう一度私の瞳の奥の奥を覗き込むように視線を交わらせてからゆっくりと口を開いた。
「君に会ってわかった。俺は誕生日が楽しみだったわけではなく、俺を喜ばせようと色々考えている君を見ているのが嬉しかったんだ」
「どういう、ことでしょうか⋯」
「君の頭の中を独占できることが嬉しかった、ということだ」
独占欲、ということなのだろうか?
煉獄さんが?
その単語と煉獄さんがあまりにも結びつかなくて、頭の処理が追いつかない。
いつだって自分より他人を優先する煉獄さんに、そんな感情があるのだろうか。
そんな私の思考を読み取ったのだろうか、煉獄さんが再び口を開く。
「俺は聖人君子ではないからな。恋人を独占したい気持ちくらいある」
髪に顔を埋めるように抱き寄せられてそう囁かれれば、大して容量のない私のキャパはすぐに限界を迎えてしまう。