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まちがいさがし 第7章

半ば引きずられるようにして辿り着いたのは、こじんまりとした一軒家だった。

「ここが家か?」
「そうだよ!」

ポケットから鍵を取り出してガチャガチャと忙しなく玄関を開けると、「どうぞ」とドヤ顔をしている弥勒に室内に通される。

玄関のすぐ傍にある和室を通り過ぎるときに弥勒が自慢気に和室を指差して言う。

「そこで母ちゃんが勉強教えてるんだ」
「塾か⋯」
「うん、そんな感じ。時々他のとこも手伝ってるんだ」
「そーか⋯」

教職を離れても、やっぱりなまえは先生なんだな。
あの頃、生き生きと教壇に立っていたなまえの姿を思い出して、懐かしさとわずかな苦しさが胸に込み上げてくる。

「タオル持ってくるから待ってて!」

居間に通されると、弥勒はタオルを取りに洗面所の方へ走って行く。
その姿が見えなくなるまで見送って、手持ち無沙汰になった俺は静かになった居間をグルリと見回す。

さほど広くない居間の一角には弥勒の玩具や着替えが入った収納ケースが置かれている。

壁に沿って置かれた棚の上には、弥勒の生まれてから今までの写真が写真立てに入れて綺麗に並べられている。
弥勒の写真ばっかりで、自分の写真がないのがなまえらしい。

居間にあるものは、玩具道具も本も着替えも写真もどれも弥勒のものばかりで、なまえのものはほとんど見当たらなかった。

「はい!タオル」
「ああ、ありがとな」

大きなタオルを2枚抱えて戻ってきた弥勒から1枚受け取って、ガシガシと濡れた身体を拭く。

弥勒はと言えば、身体を拭くのもそこそこにお菓子を探しにキッチンへ向かう。

「おい、ちゃんと身体拭けェ」
「それよりお腹空いたよー」
「身体拭く間くらい我慢できんだろォ」

キッチンへ逃げた弥勒を追いかけて、戸棚を漁っている弥勒を後ろから捕獲するとゴシゴシとタオルで水気を払っていく。

「わ、っぷ!」
「動くんじゃねェ」
「実弥の力が強いんだよ!」

喚きながらほとんど意味のない抵抗をする弥勒を強引に拭き上げて、あらかた乾いたところでようやく「ほら」と解放すれば弥勒はむくれた顔をしている。
こういう顔も小さい頃の自分とよく似てる。

「そうむくれんな。腹減ってんなら何か作ってやろォか?」
「えっ、ほんと?」

不機嫌な顔から一転、目を輝かせて身を乗り出す弥勒に喉の奥で笑いを堪える。

「っつっても夕飯前だし軽めにな」
「うん!」

嬉しそうに頷く弥勒に笑いを零して、冷蔵庫を開けて中を物色する。

適当に食材を取り出して調理を始めようとしたところで、キッチン台を覗き込むようにつま先立ちしている弥勒に気づく。

「気になんのか?」
「うん」
「やりてェか?」
「やりたい!」
「んじゃこっち来い」

エプロン代わりにタオルを紐で止めて、弥勒の後ろに立って抱え込むように手を回す。

「料理覚えてェのか?」
「⋯できるようになったら、母ちゃんの役に立てるかなって⋯」

真っ直ぐに前を向いて呟くようにそう零した弥勒を見下ろす。
その言葉に、その表情に、遠い昔小さい身体で必死に家族を守ってきた母親を無力感を抱いてただ見つめていた自分を思い出す。

「⋯母ちゃん好きか?」
「うん」
「俺もだ」
「?」

振り返ろうとした弥勒の頭をクシャっと撫でて「なんでもねェ」と返して再び手を動かした。

それから二人で作ったおやつを食べて、弥勒が引っ張り出してきた玩具で遊んで、いつの間にか止んだ雨空は夕焼けの色へと変わっていた。
そろそろ帰るかと言い出した俺を弥勒があの手この手で引き止めていたときだった。

ーガチャ

「あっ」

玄関のドアが開く音がして、耳聡く聞きつけた弥勒が夢中になっていた鉄道模型から顔をパッと上げて身体を起こした。

「母ちゃんだ!」

跳ねるように立ち上がって、揚々と玄関の方へ駆けていく。
その小さな背中を見送りながら。

俺は今更ながら、一歩も動けないでいた。

どういう顔をしたらいい。

何を話せばいい。

あんなに会いたくて堪らなかったはずなのに。

いざその機会が訪れると、こんなにも身体が震える。
息がうまくできなくて、足が竦んで、動悸だけが煩いほどに早くなる。

突き放されたら、冷たい瞳で拒絶されたら、嫌悪に満ちた顔で否定されたら、そんなネガティブな考えが思考を支配して。

でも。

またあの無味無臭な日々を過ごすのかと自らに問いかければ、答えは明白だった。

何も知らないまま抜け殻のように生きるくらいなら、罵られて蔑まれて嫌われても、ちゃんと向き合ってから捨てられた方がよっぽどマシだ。

知った上で足蹴にされて切り捨てられる方がずっといい。

玄関の方から近づいてくる足音に、俺はその場に立ち上がった。