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虹色のナラタージュ 第1章

事を終えてなまえを後ろから抱き締めたまま横になっていた俺に、なまえの声が届く。

「⋯天元、ありがとう」
「何がだ?」
「私を抱いてくれて」
「何言ってんだ?それは俺の台詞だろ」

俺の言葉に、なまえがフフッと笑う声が聞こえた。

そのとき聞こえた何かを噛むような小さな音を、なまえと繋がった充足感で惚けて聞き流したことを俺は今でも悔やんでいる。

「⋯天元」
「ん?」
「ごめんね⋯」
「⋯なまえ?」

唐突な謝罪の真意が汲めなくて、思わず身体を起こしてなまえを見る。

こちらに背を向けて横たわったままのなまえの肩に手を置いて振り向かせた瞬間、視界が捉えたなまえの顔に一気に血の気が引いた。

青ざめた顔をしたなまえの眉間は苦しげに寄せられていて、荒い呼吸を繰り返す喉を白い手が抑えている。
噛み締めた唇からは血が滲んでいて、どう考えても普通の状態ではなかった。

なまえ!おい、なまえ!何を飲んだ!?」
「お父さんが⋯どうしようもならなくなったら、って⋯残してくれたの⋯⋯」

そうだ、なまえの父は自分が殺される未来を予見していた。
だからこそ、娘であるなまえが一人残されたときのことを案じて、いざというときに自ら命を絶てる手段を仕込ませておいたのだろう。

医者を探そうとなまえの肩を抱えて立ち上がろうとした俺を、なまえが手で制する。

「⋯もう、助からないから⋯」
「っ⋯馬鹿野郎!なんで毒なんか飲んだ!?」

俺の怒号に、なまえは青白い顔をしたまま柔らかく微笑んだ。

「天元に⋯もう、人を殺してほしくない⋯」
「は⋯?」
「天元は⋯、感情のない操り人形じゃない⋯」

荒い息遣いに掻き消されそうになるなまえの声を必死に拾い集める。
なまえの瞳から涙が溢れて、頬を滑り落ちていく。

「⋯心を、殺してまで⋯、誰かの命を、奪わないで⋯。
 天元が⋯⋯守りたいと思う、人たちを⋯守ってあげて⋯⋯」

徐々に弱くなるなまえの声。
なまえの顔をちゃんと見ていたいのに、涙で滲んだ視界がそれを許さない。

無意識に流れ出てくる涙を拭うこともできずにいたら、なまえの手が頬に触れて優しく涙を拭った。

「天元は⋯、心のままに⋯生きて、いいんだよ⋯」

涙を拭われてようやく見えたなまえの顔は、死の淵にいるとは思えないほど穏やかな笑みを浮かべている。
細く途切れていく声に反して、苦しげに寄せられた眉間が和らぐ。

「⋯家族を⋯、周りの人を⋯、守ってあげて⋯」

涙を浮かべて微笑むなまえが、俺を真っ直ぐに見つめて言った。

「⋯自分の⋯、人生を⋯生きて⋯、天元⋯」

その言葉を最期に、なまえはゆっくりと瞳を閉じた。
同時に俺の頬に添えられたなまえの手が重力に従ってパタリと落ちて、支えていた身体から力が抜けたのがわかった。

なまえなまえ!起きろなまえ!」

そう叫びながら身体を起こそうとしても、なまえの固く閉じられた瞳は開かない。

なまえが再び言葉を発することも身体を動かすこともないことはわかっていたけれど、それでも徐々に熱が引いていくなまえを離すことはできなくて、その身体を抱き締めたまま蹲った。

決壊したように涙が溢れても、それを拭ってくれた柔らかい手はもう動かない。
どれだけ後悔しても、自分を責めても、手の平から零れ落ちたものは戻らない。

この時初めて、俺は自分が奪ってきた命の重みを知った。

温もりの消えたなまえの身体を呆然と抱きかかえたまま時間だけが過ぎて、その後どうやって里へ帰ったのかは覚えていない。

物言わぬなまえを連れて屋敷へ着いたら、足早に弟がやってきて引ったくるようにして俺の腕からなまえを奪い取った。
なまえの亡骸を酷い扱いでもしようものなら、その場で弟を殺すと決めていた。

しかし俺の予想に反して、弟はなまえの亡骸を丁寧に抱きかかえると静かに自室へ戻っていった。

その数日後に、里の外れにある墓地へなまえの父親とともに埋葬されたことを人伝に聞いた。
歪んではいたけれど、弟は弟なりになまえを愛していたんだろう。

消化しきれない想いを抱えたまま、なまえが最期に言い残した言葉だけを何度も反芻して、ようやく俺は里を抜けた。

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