まちがいさがし 第2章
「不死川くん」
「胡蝶か。なんか用か?」
「今日日直でしょ?これ配ってくれって先生が」
「ああ、わかった」
休み時間に軽やかな声で話しかけてきたのはクラスメイトの胡蝶カナエだった。
教師からのウケも良く優等生の胡蝶と話す機会なんてほとんどなかったが、渡されたプリントの束を受け取って礼を言う。
「⋯?」
用事が済んだはずなのにじっと視線を投げてくる胡蝶に違和感を覚えて見返すと、胡蝶がニコリと微笑んだ。
「不死川くん、最近丸くなったわね」
「は?」
要領を得ない言葉に眉を顰めるが、それを聞いていた煉獄と宇髄が便乗してくる。
「胡蝶もそう思うか!」
「雰囲気が優しくなったっていうか⋯」
「だよなァ、喧嘩もしなくなったしよォ」
興味深げに覗いてくる奴らを避けるように顔を背ける。
「いいことでもあったのか?」
「⋯強いて言えば親父が死んだことだな」
「彼女でもできたか?」
「できてねぇよ」
「じゃあ、好きな人かしら?」
「っ⋯」
胡蝶の言葉に言葉が詰まる。
不意に脳裏に浮かんだのは、穏やかに微笑むなまえの顔。
「あら、当てちゃったみたい」
「そうなのか!めでたいな!」
「おい、誰だ?この学校の奴か?」
「あァァァうるせェ!殺すぞ!」
肩に回された宇髄の手を振り解いて勢い良く椅子から立ち上がると、ヤイヤイ騒いでる奴らを放って歩き出す。
死んでも教えるか。
「どこ行くんだ?もうじきホームルームが始まるぞ!」
煉獄の声を無視して教室のドアを開けたら。
「不死川くん」
「っ」
廊下側からドアを開けようとしたなまえが驚いたような顔をして立っていた。
「おはよう」
「⋯おはようございます」
「ホームルーム始まるよ」
「⋯うす」
他意のない笑顔でそう言われて、何も言い返せずに大人しく頷く。
渋々と席に戻ってきた俺を、宇髄や胡蝶がなんとも言えない楽しそうな顔で迎える。
「よォ、おかえり」
「⋯⋯ちっ」
「逃げなくてもいいのに⋯」
「テメェらがうるせぇからだろ」
「あー、悪かった悪かった」
「ごめんなさいね」
「不死川は何を怒ってるんだ?」
ポカンとした顔の煉獄と、楽しそうな宇髄と胡蝶に囲まれて騒いでいたら、「ホームルーム始めますよー」となまえののんびりした声が届いた。
なまえを好きになってから、なまえを過ごす時間が増えてから、それまでの俺からは考えられないほど平穏な時間が増えた。
無意味な苛立ちも、衝動的な暴力も、感情任せの暴言も、それまで身体に満ちていたドロドロしたものが、知らない間に身体から消え去っていた。
それでも、眠たくなるような退屈な日々は、案外悪いものではなくて。
クラスメイトとくだらない話でバカみたいに騒いで、しょうもないことで笑い合って、面倒だと文句を言いながら学校行事に参加して、ボケそうなくらい平和な日々が心を溶かしていく。
その中にはいつも変わらないなまえの笑顔があって、それが見れるなら何の刺激もない日常も悪くないと思えた。
今思い出しても、自分に青春時代があったとするならばこの時だったと思う。
どれだけ歳月を経ても鮮明に思い出せる、紛れもなく幸福に満ちた日常だった。