まちがいさがし 第1章
「なまえせんせー!」
「っ⋯」
貞子が涙を流しながらなまえを呼んでいるのを聞いて気付いた。
就也を庇うようにして親父の前に飛び出した俺ごと抱きしめるように、なまえの両腕が俺を包んでいて。
「大丈夫⋯?」
痛みを堪えるように眉を寄せながら、なまえがそう尋ねてきた。
「な、んで」
頭が切れたのか、なまえはこめかみから血を流しながら、呆然としている俺を庇うように親父に相対した。
「ちっ⋯先生さんよォ、テメェが勝手に出てきたから手が当たっちまったじゃねぇか。俺の責任じゃねぇよなァ」
「⋯でも、警察に行けば被害届は出せますよ」
「あァ?」
「どんな状況であれ、殴ったことに変わりありませんから」
「⋯テメェ、調子乗んじゃねぇぞォ⋯」
「不死川くんは、私の大事な生徒です。生徒を守るのは教師の務めです」
「だからなんだァ!」
「これ以上手を出すなら、どんな手段を使ってでも止めてみせます」
一般的な男よりも図体の大きい親父に向かって毅然と言い切るなまえは、普段学校で見ていた生徒に絡まれてフワフワ笑っている姿とはかけ離れている。
体格も力も、誰がどう見たって圧倒的になまえの方が不利な筈なのに、なまえは下から親父を睨み上げる。
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯ちっ」
暫く睨み合いが続いた後、ろくでなしとはいえ、さすがに他人、それも教師に暴力はまずいと判断したのか忌々しげに舌打ちして親父は家から出て行った。
バタン、と玄関のドアが乱暴に閉められた瞬間、なまえが膝から崩れ落ちた。
「なまえせんせー!」
「せんせー大丈夫?」
座り込んだなまえを囲むように、弟や妹が次々となまえに駆け寄って取り巻いた。
「だ、だいじょうぶです⋯ちょっと腰が抜けちゃって⋯」
弱々しく「ごめんね」と笑いながら妹達の頭を撫でるその手は震えている。
「玄弥、台所につまめるモン作ったからみんなに食わせてくれ」
「う、うん」
玄弥が下の兄弟を連れて台所に移動する姿を見送ってから、へたり込んでいるなまえに近寄って目線を合わせた。
「あ、不死川くん⋯。怪我、ない?」
「ありません」
「良かった。⋯ごめんね、ちょっと立てなくて⋯」
「腰が抜けるくらいならしなきゃ良かったのに」
「つい身体が動いちゃって⋯」
困ったように笑うなまえの頭から流れた血がこめかみから頬へ垂れてくる。
「手当します」
「ありがとう⋯」
もう随分としまったままになっていた救急箱を押入れの奥から引っ張り出してきて、消毒液とガーゼを取り出して傷に当てる。
傷に消毒液が触れた瞬間、なまえはビクリと身体を震わせたが、何を言うでもなく大人しく手当を受けていた。
「⋯ごめんね」
不意に聞こえた謝罪。
家族の揉め事に巻き込んだことを謝らなければいけないのはこちらの方なのに、なぜ謝罪されるのか意味がわからなくて戸惑っていた俺に、なまえはポツリと言葉を紡いだ。
「不死川くんのこと何も知らないのに、痛みに慣れるななんて偉そうに⋯。不死川くんは、ずっと一人で兄弟を守ってきたんだね」
「⋯他人なんですから、知らなくて当然です」
「慣れるしか、なかったんだよね⋯」
俯いたなまえの瞳から、ポタリと一粒の滴が溢れた。
殴られたのは自分なのに、なんでそんなことでこの人が泣くんだ?
あまりにも不可解な状況に何も言えなくて、でも頬を滑り落ちるその涙が妙に綺麗で、目が離せなかった。
「なんで⋯」
「?」
「見ないフリしてりゃ楽なのに、なんで」
「だって、不死川くんは私の生徒だから」
そう言って微笑みを浮かべるなまえの瞳は優しかった。
思い返してみればこの時、俺はこの人に恋に落ちたんだ。