傷下の秘め事
行為を終えて、着物も纏わずに布団の中で実弥に抱きしめられたまま。
夜はすっかり明けて、早起きな鳥の囀りと健全な朝の光が障子越しに届いている。
「⋯朝になっちゃったね」
「だなァ」
まだしっとりと汗の滲む肌を合わせて頭一つ分高い位置にある実弥を見上げる。
身体を重ねた後の実弥はいつも、普段の姿からは想像もできないほど穏やかな笑みを浮かべている。
その表情が見たくて顔を上げたのだ。
「なんだァ?」
視線に気付いた実弥がこちらを見下ろしてくる。
自分の求めていた顔がそこにあったことに満足して、「何でもない」と言って再び胸元に顔を埋める。
「なまえ」
「なに?」
「⋯怪我の理由はわかったが⋯」
「?」
不意に実弥がポツリと言葉を零すから、胸に寄せていた顔を再び上げて実弥を見る。
「できればどこも怪我してほしくねェ」
「⋯うん」
実弥にしてみたら当然のことだろう。
私だって実弥の怪我に理解を示しているけれど、本音は傷なんて作ってほしくないと思ってる。
そもそも怪我なんて大小問わずしない方がいいに決まってる。
「顔も腕も綺麗な方がいいよね」
「⋯そうだが、そうじゃねェ」
「⋯なぁにそれ」
寝惚けてる?と笑いながら実弥を見ると、思いの外真剣な瞳がそこにあって思わず口を噤んだ。
私の軽口に、怒るでもなく呆れるでもなく、ただ真っ直ぐな瞳が私を見据えていた。
実弥はその瞳で私を捉えたまま、髪の毛を払い除けて額に触れる。
「女だからってのもあるが⋯」
「うん」
「血鬼術は未知数だ。小さな傷でも死ぬ場合もある」
「⋯うん」
「それに⋯」
「?」
言葉を切って言い淀む実弥に首を傾げる。
いつも真っ直ぐに話す実弥にしては珍しい、躊躇いを含んだ物言いだ。
続きを待って実弥を見上げていた私から逃げるように、実弥は顔をわずかに背けて口を開いた。
「⋯心配なんだよ」
「実弥⋯」
「なまえが怪我してるとこは見たくねェんだ」
少し濡れた瞳で慈しむように見つめられてそう言われては、茶化したり流したりすることなんてできるはずもない。
実弥が時々見せるこの顔は本当にずるいと思う。
仲間に見せている短気で粗暴で無愛想な姿は影もなく、親しい相手にだけ見せる温厚で繊細で愛情深い姿。
それを私が見れることがただ嬉しくて。
「⋯気を付けるね」
「ほんとかァ?」
「だから⋯」
「ん?」
「実弥のその顔は、私だけに見せて」
「⋯?」
言葉の意味を汲み取れなかったのか、実弥は訝しげな顔をしてこちらを見る。
そんな表情すらも愛おしい。
「実弥の優しいところも弱いところも、私以外に見せたくない」
柔らかい顔も穏やかな声も優しい指先も、私だけの秘密にしたい。
私を見つめたまま微動だにしない実弥の頬に手を伸ばして、大きく入った傷跡をそっと指でなぞる。
頬の温もりが指を伝って、触れるたびに胸の奥がじんわりと熱を持つ。
不器用なあなたも、涙脆いあなたも、たくさんの傷を負いながら生きてきたあなたが。
「大好き」
この傷ですら、恋しいと思うの。
そう伝えたら急に気恥ずかしくなって。
実弥は呆気にとられたように目を見開いて固まっているから、照れくささを誤魔化すように笑って実弥の胸元に顔を埋めた。
実弥の胸元に寄せた耳からトクトクと伝わる音が心地よい。
静かにその鼓動に耳を傾けていたら、ギュウッと強い力で抱きすくめられる。
少し痛いくらいの抱擁ですら、幸せだと思う。
「⋯怪我しねェのが至上命題だが、万が一傷が残っても安心しろォ」
くぐもった低い声が頭上から聞こえてくる。
「俺がもらってやる」
少しだけ腕の力が強くなる。
これ以上抱きしめられたら、実弥の一部になってしまうんじゃないかというほどに。
「どんななまえになっても愛してやらァ」
「ー⋯」
返事をする変わりに、実弥の腕をギュッと掴む。
目頭がジワリと熱くなって溢れた滴を拭いたかったけれど、きつく抱きしめられていてはそれも叶わず、濡れた頬を実弥の胸に押し付けた。
傷の数だけ、この人が幸せになれますように。
実弥の腕に包まれて微睡みながら、それだけを祈り続けた。