傷下の秘め事
救急箱を手に戻ってきた実弥は、髪の手入れが終わった私を手招いて布団の上に座らせた。
「ほら、こっち向け」
「ん」
「染みても我慢しろよ」
「ん」
向かい合って座った実弥に顔を突き出して、瞳を閉じる。
手当はお前が好きにしろと言わんばかりの態度だ。
ハァとため息をつく声が聞こえた気がした。
顔にかかった髪を払い除けて実弥の手が額に触れる。
呆れながら、面倒くさがりながら、それでも私に触れるその手は優しい。
「ここからここまで、ザックリ切れてるな」
こめかみの上あたりの生え際から額の中程まで指でなぞりながら、実弥が忌々しげに言い捨てる。
「別に痛くないよ」
「そういう問題じゃねェ。痕が残ったらどうすんだ」
「私は別に、気にしないけど」
「なんでそんな無頓着なんだよ」
「実弥が気にしすぎなんでしょ」
目を瞑っているから実弥の顔はわからないけれど、言葉に詰まった彼はきっと苦々しげな表情を浮かべているのだろう。
それがなんだか可笑しくて、クスクスと笑いながら言葉を続ける。
「実弥だって顔も身体も傷だらけじゃない」
「俺はいいんだよ。男だからなァ」
「あー、女性差別?」
「ちげェよバカ」
誂うように投げた台詞に優しい悪態をつきながら、コツンと額を小突かれる。
わかるよ、実弥の心配は。
いくら戦術だとしても、私だって実弥が怪我するのは嫌だもん。
「ねぇ」
「なんだァ?」
「痕、残る?」
「それほど深くねぇからそのうち消えんだろ」
「ふーん」
痕が残らないならそれに越したことはないのだろうけど。
「気にしてんのかァ?」
「そうじゃなくて」
「じゃあなんだよ」
「もし残っても、実弥とお揃いだなって」
そう思えば、別に痕が残っても悪くないんじゃないのかと思っただけ。
そんな可愛い乙女心をチラリと覗かせてみたというのに、返ってきた実弥の声にはやや怒気が含まれていた。
「⋯なまえ」
「な、なに?」
突然頬を挟まれてグイを引っ張り上げられたことに驚いて、思わず目を開けた。
目の前には若干瞳孔が開いた実弥がいて、あまりの迫力に声が上ずる。
「お前まさか、そのためにわざと怪我してるんじゃねェだろうなァ?」
「違うよ!」
慌てて訂正したから嘘っぽくなってしまったけど、それは本音だ。
別に私だって、傷跡は勲章というわけのわからない根性育児論みたいなことを考えているわけじゃない。
取り繕うように否定した私に、実弥はなにかを探るように鋭い視線を投げてくる。
一転して窮鼠になった私は、わずかに後退りながら主張した。
「本当に違うったら!」
「⋯⋯」
「大体、実弥とお揃いにするなら全身傷だらけになってるよ!」
さっき風呂場で実弥だって見たはずだ。
首元と背中だけとは言え、生傷も古傷も一つもない身体を。
訴えるようにそう言えば、実弥は少しだけ視線を彷徨わせて考え込み、暫くしてようやく納得したらしく頬を掴む手の力を抜いた。
だけどその手は離れることなく、実弥はじっと私を見据えたまま問いかける。
「なんでだ?」
「え」
真剣な瞳で見つめられて、思わずたじろぐ。
「受け身が取れてねぇわけじゃねェだろ」
「⋯まぁ⋯」
「顔と腕か⋯。隊服に隠れてねェからか?」
「⋯⋯」
「いっそ隠みてェな格好にした方がいいかもしれねぇな⋯」
一人でブツブツと呟きながら考え込んでしまった実弥を見ている私は、きっと間が抜けた顔をしているだろう。
この人は本当に、変なところで真面目で頑固で純粋だ。
防の方に重きをおいて鍛錬を積むべきか隊服を改良すべきか、一人で真剣に悩んでいる実弥を見ていたら、なんだか胸の奥がジワリと熱くなって。
愛しいと思うと同時に、無意識に言葉が溢れていた。