背中合わせの恋煩い 第5章
チチチ、と鳥が囀る声に目を開ける。
隠の人が来る前に、煉獄さんへの荷物をまとめておかなければいけない。
そう思って上半身を起こした時、自分が布団の中にいる事に気が付いた。
つい先刻、布団を敷くのも億劫で畳の上にそのまま倒れ込んだと思っていたけれど、いつの間に布団を敷いたのだろう。
隊服のまま眠りに就いたはずなのに、血に塗れた服は清潔な着流しに変わっている。
無意識で布団を敷いて着替えたのだろうか。
いや、でも。
不可思議な状況に鈍った思考を働かせていると、スッと部屋の襖が開いた。
「っ」
思わず息を呑む。
なんで。
どうして。
襖を開けて入って来たのは。
「煉、獄⋯さん」
どうして。
まだ完治していないはずなのに。
ここにいるはずないのに。
どうして煉獄さんがいるの。
「なんで⋯」
無言で歩み寄ってくる煉獄さんの相貌には、いつもの快活さを微塵も残さない、不満気で不機嫌な色が在々と浮かんでいる。
「っ」
怒気を纏って近付いてくる煉獄さんを大人しく待つこともできず、反射的に逃げようと布団を飛び出したところで腕を掴まれる。
「あっ⋯」
抵抗しようとしたものの、細い女の腕では病み上がりの煉獄さんの腕力にすら及ばない。
そのまま腕を引っ張られ、先程抜け出したばかりの布団に力を入れずに放られた。
「っ⋯」
「俺は怒っている」
慌てて起き上がった私の目の前に煉獄さんが向かい合うように座り、頬を両の手で挟んで顔を持ち上げると、静かに揺らめく瞳で真っ直ぐに私を捉え、怒気を抑えた声でそう言った。
「俺は怒っている」
静かな声で煉獄さんが繰り返す。
そんなの、心当たりが有りすぎる。
初めて見る煉獄さんの顔に戸惑い狼狽えながら、動かない唇を必死に動かして声を振り絞る。
「ご、め⋯な、さい⋯」
「それは何に対してだ?」
あなたが帰る前に去れなかったのなら、言わなければいけないとわかっていた言葉。
「⋯私を、離縁、してください⋯」
自分で決めた筈なのに、その言葉を告げた途端堪え切れない涙が堰を切ったように溢れ出す。
こんな風に涙を零すなんて卑怯だ。
そう思うのに、一度決壊した涙腺は自分の意思で止まるものではなくて、堪えきれない嗚咽が喉奥から漏れる。
「⋯何のために?」
「⋯もう、これ以上⋯っ、あなたを、縛りたくない⋯」
「それが、俺が怒っている理由か?」
その言葉に何と返せばいいのか解らなくて視線を彷徨わせたが答えは見つからず、しかしそれ以外の答えも出てこないので小さくコクンと頷いた。
「違う!」
「っ」
突然煉獄さんが声を張り上げた。
「そうじゃない⋯」
小さくそう漏らした煉獄さんの顔から怒気が和らぎ傷悲の色が滲む。
煉獄さんの苦しげに歪んだ顔を見ているだけで、心臓を縄できつく縛られたみたいに息が詰まって思わず胸を抑えた。
「俺が怒っているのは、君がこんな状態である事を知らせなかったからだ」
その言葉に、思考が停止する。
何故それで怒るの?
「怪我の手当もしていないし、睡眠だってまともに取っていないだろう?」
「⋯⋯」
「胡蝶にすら顔を見せないで何をしているかと思えば、一人で無茶な鬼狩りを繰り返している」
「⋯⋯」
「周りを頼ってくれ。⋯俺じゃなくてもいいから」
そんなことを怒っているの?
どうして、そんな悲しそうな顔をしているの?
言われている言葉の意味は理解できても、穏やかな煉獄さんが声を荒げるほどの怒りとその言葉が結びつかなくて頭が混乱する。
「心配させないでくれ」
煉獄さんが凭れるように頭を下げると額がぶつかり、懇願するように吐かれた言葉に心臓を掴まれたような感覚がした。
心配?
なんで?
次から次へとそんな疑問ばかりが湧いてきて、出口を見つけられないままぐるぐると頭の中を駆け巡っている。