背中合わせの恋煩い 第4章
肌寒さを感じて目を覚ましたのは、深夜だった。
横になったまま、眠り込んでいたのか。
わずかに強張った身体を解しながら起き上がり、自室を出る。
家の中は暗く、人のいる気配はない。
なまえはまだ帰っていないのか?
見回りをしていたとしても、そろそろ戻っていていいはずの時間だ。
帰宅している途中なのだろうか。
そんなことを考えながら、ひとまず風呂でも沸かそうと浴室へ向かった。
普段より長めに風呂に浸かりながら、玄関の扉が開く音がしないかと耳を欹てるが物音はしない。
風呂から上がって着替えを済ませても、なまえは帰ってこなかった。
妙な不安を覚えて、羽織を掴むと足袋を履いて家を出る。
満月に近い月が雲のない夜空に浮かぶ、静かな闇夜。
耳元を掠める夜風が火照った身体にちょうどいい。
普段であれば見回りを終えて早々に帰宅し風呂に入り、すでに就寝している時間帯。
夜には慣れているが、夜明けを待つ空を見上げながらただ歩くのは新鮮だ。
なまえの担当地区の方へ歩を進めながらそんなことをぼんやりと考える。
匂いを辿ろうと思ったものの、この地区にはなまえとよく似た香りが満ちていて、犬でもなければ嗅ぎ分けることは難しい。
これといった宛てもないまま町を徘徊してみるも、寝静まった町はひたすらに静寂に包まれていて、人影どころか猫や鼠の姿すら見当たらない。
「むう⋯」
不満気に眉を寄せるもこれ以上探しようもなく。
薄っすらと白んできた空を見上げて踵を返した。
「ん?」
家の前まで戻ってきた時、わずかな血の匂いを鼻孔が捉える。
静かに玄関の扉を開けると、土間になまえの履物が見えた。
帰っていたかと安堵したのも束の間、擦り切れて所々に血が滲んでいるその履物に粟立つような感覚に襲われる。
「なまえ⋯」
紐を解くのももどかしく剥ぎ取るように足袋を脱いで、真っ直ぐになまえの部屋に向かう。
一緒に住み始めてから、一度も訪れたことのないなまえの部屋。
唯一落ち着ける場所であろうその空間を守りたくて、今まで触れることのなかったその部屋の扉に手をかけて一気に引き開ける。
開け放った扉から中を覗けば、薄暗い部屋の隅でなまえが蹲っているのが見えた。
「なまえ!」
駆け寄ってその身を抱き起こす。
思いの外軽い身体に戸惑いながら顔にかかった髪を払いのけると、あれほど焦がれたなまえの顔が見えた。
しかし記憶にあったそれと異なる様相に言葉を失う。
生気を感じない青白い肌。
艶々としていたはずの頬は痩けたように見える。
目の下には薄っすらと隈のようなものが浮かんでいて、額や頬には古いものもあるがまだ血の滲む傷が散見できた。
脈を測ろうと腕を持ち上げると、重力に従ってスルリと袖が落ちる。
そこから覗く細い腕には無数の傷ができている。
隊服にベットリとついているのは鬼の血なのかなまえの血なのか。
「なまえ!なまえ!」
身体を揺さぶらないように頬に手を添えて呼びかけると、なまえが薄っすらと目を開けた。
その瞳は間違いなく自分を捉えているはずだけれど、どこか夢現の色を浮かべている。
「れ、ごく⋯さ⋯」
乾いた唇から溢れた声は小さく掠れている。
「め、なさ⋯」
「なんだ?」
「ごめ、⋯なさ⋯い⋯」
ごめんなさい?
何に対して?
そう聞き返そうと思ったが、なまえは再び目を閉じて眠りに落ちていった。