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背中合わせの恋煩い 第4章

なまえは元気か?」
「⋯は?」

目覚めてから一週間ほど経った頃、傷の具合を診にきた胡蝶に唐突に尋ねると、胡蝶は眉間に皺を寄せて此方を見てきた。

目が覚めたという連絡は胡蝶からしてくれたようで、毎日着替えや差入れが届けられるが、肝心のなまえの姿を見ていない。

「何故それを私に聞くんです?」
「む⋯」

胡蝶の質問に言葉が詰まる。
たしかにそうだ。

言葉に詰まった俺を一瞥して、胡蝶はハァと大きくため息をつくと治療の手を止めて正面から俺を見た。

「煉獄さん」
「なんだ?」
「夫婦のことは他人である私が首を突っ込むことではありません」
「ん?」
「でも、なまえさんの友人という立場からあなたに言うことがあるとすれば」
「⋯?」
「貴方は言葉が足りません」
「うん?」

予想だにしなかった胡蝶の言葉に思わず首を捻る。

「似た者同士ってあなたたちみたいな夫婦の事を言うんでしょうね」
「どういうことだ?」
「少しは自分で考えてください」

冷たくそう言い放つ胡蝶からは、これ以上の質問は受け付けないと言わんばかりの雰囲気が醸し出されている。

「それからなまえさんの様子ですが⋯私も気になっているんです」
「どういうことだ?」
「煉獄さんが倒れてから、なまえさんに会ったのは蝶屋敷にあなたを連れて来たときだけです」
「それ以来会ってないのか?」
「はい。そのとき疲れた様子だったので大丈夫かと声をかけたんですが⋯」

胡蝶は眉間を寄せながら言い淀む。

「毎日届けられる着替えや差入れは隠に頼んで運んでいるようです」
「隠に?」
「一度だけ、煉獄さんが目を覚ました事を連絡したときに返事がありました」

胡蝶は言葉を切ると、隊服の衣嚢から一枚の紙切れを取り出して此方へ寄越した。
嗅ぎ慣れた優しい香りがするその紙は間違いなくなまえが書いた物だろう。

掌ほどの大きさのその紙を開く。

『煉獄さんを、どうかよろしくお願いします』

何度か見たことがある筆跡で、短くそれだけが書かれた手紙。
あまりに簡素な文と整然と並んだ文字からは、そこに書かれた以外の情報をそれ以上得ることは難しい。

「目を覚ましたとき、煉獄さんはまだ起き上がれる状態ですらありませんでしたから伝えませんでした」
「そうか⋯」
「隠が運んでいるとはいえ、届け物を用意しているのはなまえさんですから、考えすぎかもしれませんが⋯」

俺から視線を逸らしながら、口元に手を添える胡蝶。
それはまるで胡蝶自身が自分にそう言い聞かせているかのように聞こえた。

「胡蝶、俺はいつ退院できる?」
「動けるならいつでも。隊士であれば機能回復訓練まで受けてもらうところですが、煉獄さんでは物足りないでしょうから後は自分でやってください」
「そうか!ありがとう」

筋力が落ちてはいるが、普通に動く分には殆ど問題ないだろう。

布団を剥ぎ取り寝台から降りると、少し足元がふらつく。

「帰りますか?」
「ああ、帰る!」
「ではその前に怪我の具合を説明します」

肩をトンと押されれば、まだ力の戻っていない体は素直に後ろに下がり、寝台に腰を下ろす。
向かいの寝台に座った胡蝶が紙と鉛筆を取り出して怪我の説明をしてくれた。

「肋骨は治癒していますが、肺は回復していませんから呼吸を使うのは控えてください。左目もほぼ見えません」
「視力は戻らないのか?」
「そう思ってください。片目の視力がないまま両目を使うと、問題がない方の視力も落ちますので左目には何か宛てた方がいいでしょうね」
「そうか」
「とりあえず眼帯を用意しましたので応急で使ってください」
「これはありがたい!」
「最後に、お館様からの言伝です」

そう言って胡蝶はもう片方の衣嚢から紙を取り出して読み上げる。

「命があって本当に良かった。よく頑張ったね。
 体を治すことを優先するように。今後の進退は杏寿郎に任せるよ」
「ありがたいお言葉だ」
「では、荷物を持って来ますので少しお待ちを」

胡蝶が一度部屋を出て暫くすると、隊服の上から白衣を着た少女が荷物を抱えて胡蝶に続いて部屋に入って来る。
まるで帰宅することを見越していたかのような手際の良さだ。

「煉獄さま、此方をどうぞ」
「ありがとう!」

丁寧に畳まれた羽織を受け取ると袖を通し、日輪刀と一緒に運び込まれた荷を手に持つ。
まだ少しフラつく足を動かして身体を慣らすと胡蝶と少女に向き直った。

「胡蝶、世話になったな!」
「いえ」

身支度を整えて部屋を出ようとしたとき。

「煉獄さん」
「ん?」

胡蝶に呼び止められ振り向く。
胡蝶が真っ直ぐな眼差しでこちらを見据えて、静かに口を開く。

「状況は不本意だったかもしれませんが、想いは本物でしょう?」

唐突な問いかけに一瞬何のことを言っているのかと逡巡したものの、暫し思考を巡らせてから胡蝶の射抜くような視線に笑みを返した。

「もちろんだ」

その答えに、ここへ来て初めて胡蝶が笑みを零した。

「同じ質問を以前なまえさんにもしました」
なまえに?」
「魔禍と戦った翌日に、あなたに言われて彼女がここへ来たときです」
なまえの答えは?」
「それは自分で確かめてください」

胡蝶はそう言って面白そうな顔をしているけれど、それはきっと胡蝶なりの気遣いなのだろう。

「わかった、ありがとう!」
「道中お気を付けて」

手を振る胡蝶と少女に礼と別れを告げて蝶屋敷を出ると、まだ日は高く穏やかな日差しが降り注いでいた。