路地裏のキンモクセイ 第3章
「カカシさん!お待たせしました!」
生垣にもたれるようにして寄りかかり満月を見上げていたカカシに、なまえは駆け寄り声をかける。
「すみません、時間がかかってしまって⋯」
「迷子になったかと思って心配したけど⋯良かった」
「ありがとね」とカカシはなまえの頭を撫で、両手いっぱいに提げられた袋を受け取ると
「座って食べよーか」
と休憩できるスペースを探して歩き出した。
前を歩く広い背中を見上げながら、なまえはキュっと唇を噛む。
見ず知らずの自分を家に置いてくれ、何を聞くわけでもなくただただ受け入れてくれた人。
何もできない自分を責めるでもなく、好きだと言ってくれる人。
感謝と慈愛と思いやりに満ちた数々の言葉。
自分の身を案じ、帰りを待っていてくれる存在。
自分が求めていた何もかもを、与えてくれた人。
──離れたくない。
でも
私はこの人を──。
「なまえ?」
不意に名前を呼ばれ、なまえはハッとしたように顔を上げる。
「あ⋯、すみません、ボーっとしちゃって」
「疲れちゃった?」
「いいえ!その、ちょっとお腹が空いたなーって⋯」
顔を覗き込んでくるカカシに慌てて距離を取りながら、なまえは照れを誤魔化すかのように笑った。
「食いしん坊だねーなまえは」
「私だってお腹が空くんです!」
自棄になったように言い切るなまえに、つい笑いが零れる。
「じゃあそこに座って食べよっか」
カカシが指差したのは、ブランコやベンチなどの遊具が置いてある小さな公園だった。
公園のすぐ裏手には何やら大きな建物が影を作っている。
「アカデミーだよ」
建物を見上げるなまえにカカシが言う。
「アカデミー⋯」
「忍になる者はみんなあそこに通って忍の基本を教わる。木ノ葉の忍の原点だよ」
「カカシさんも通っていたんですね⋯」
「ま、ね」
アカデミーに向き合うようにベンチに並んで座って、買ってきたものを広げながらなまえが呟くように問うた。
「カカシさんは、どうして忍者になろうと思ったんですか?」
「オレは⋯⋯親が忍だったから。物心ついた時から、自分も同じ道を行くものだと信じて疑わなかった。
ま、実際になってみて辞めたいと思ったこともないから、忍になる以外の道が思いつかないのが本音かな」
「そう、ですか⋯」
「なまえにはないの?」
「え?」
「夢とか、やりたいこととか」
カカシの問いになまえはしばし驚いたように目を見開き、視線を泳がせた後再び目を伏せた。
「考えたこと、ないです」
沈黙と夜の静寂が二人を包む。
「⋯私にはわかりません⋯。
時に人を傷つけて、時に仲間を失って、時に自分まで傷ついて⋯それでもなぜ戦い続けるのか
誰かの犠牲のうえに自分が生きているのだとして⋯どうしてそれでもなお生き続けようとするのか
自分の命にそこまでの価値があるのか、生きていくことと死ぬことのどちらが贖罪になるのか⋯。
私、は──⋯⋯」
俯いたなまえの瞳から大きな滴がポタッと落ち、膝の上で握りしめた掌の上に静かに落ちた。
──グイッ
「!」
不意に腕を掴まれ、気付いた時にはなまえはカカシの腕にがっちりと抱き締められていた。
「わからなくていい。迷ったっていいんだ。
なまえが考えていることは、忍なら一度はぶつかる壁だ。オレだって考えたことがある。
今まで、任務で死ぬほどの怪我を負ったことも、⋯仲間を、一番の親友を、失ったこともある。
守り切れずに、目の前で傷つき弱っていく仲間に自分は何もできなくて、生き残る度に自分の価値がわからなくなっていった。
感情を忘れて、ただの道具のように任務をこなしていた時期もあった。
だけど、それでも今、オレがこうして忍として生きているのは
守りたい人達がいるからだ」
「守りたい、人⋯」
「その人達を守れるのなら、オレは何だってするよ」
そう言い切ったカカシは、なまえの目になんと眩しく映ったことだろう。
「⋯⋯か」
「ん?」
「私、も、守れるでしょうか⋯」
カカシの服をギュッと掴み震える声で呟くなまえは、尋ねるというよりは自分に言い聞かせているようだった。
そんななまえに、カカシはふっと笑うともう一度抱き締める腕に力を込めて言った。
「なまえはダーメ」
「っ!」
カカシの回答に、なまえはバッと顔を上げショックを受けたような顔でうろたえている。
「なまえはオレが守るから」
「え⋯」
「なまえは普通の女の子なんだから。
そのままのなまえで、いつまでも笑っててくれればそれでいい」
カカシがニッコリと微笑んでそう言えば、なまえの瞳から止まることなく涙が零れる。
「カカシ、さん⋯」
ありがとう。
ありがとう。
優しい人。
愛しい人。
私は
あなたを守りたい──。
声にならない感謝の言葉を代弁するかのように溢れ出した涙を、カカシはそっと拭い、再びなまえを腕の中に閉じ込めた。
彼女をきつく抱き締めたまま、カカシは夜空にポッカリと静かに浮かぶ月を、強い意思を宿したその瞳で見据えていた。