深緋の楽園 第5章
地獄に片足を突っ込んでいるような顔つきをした連中が行き交う通りを歩きながら、脳裏をよぎるのはなまえのことだった。
そういえば名前を呼んだのは初めてだったかもしれない。
なまえの名前は店の仲間に呼ばれたのを聞いて知っていたが、本人に名前を聞いた記憶がないから、なまえにしてみればなぜオレが名前を知っているのか不思議だっただろう。
なまえに至っては、オレの名前すら知らない。
名前を呼ぶ必要もないと思っていたから呼ばなかった。
名前を教える必要もないと思っていたから教えなかった。
そのはずだった。
調子が狂うな。
気が付けば無意識に眉間に皺が寄っていた。
オレにしては珍しいことだ。
足を止めてフゥと一息ついて頭を切り替えると、雑念を振り払うように歩を早めて人混みに紛れていった。
色々な店を渡り歩いて調達した物資を両手に抱えてマンションへ戻る。
家を出たのは昼過ぎだったが、もう日が暮れ始めている。
鍵を開けて部屋に入ると、室内はひどく静かだった。
なまえの気配はあるが、寝ているのだろうか。
そう思って明かりをつけてソファに近寄る。
上から覗き込めば、案の定ソファに座ったまま眠り込んだのだろう、足は座ったままの体勢で上半身だけをソファに投げ出したなまえがいた。
しかし、床に落ちていたブランケットを拾い上げて肩からかけようとしたときに気が付いた。
様子がおかしい。
ソファの前面にまわって膝をつくと、なまえの顔を覗き込む。
顔を真っ赤にさせて荒い呼吸を繰り返し、額に汗を滲ませながら眉間に皺を寄せて目を閉じるなまえ。
髪を除けて額に手を添えると、瞬時に熱が伝わってくる。
ひどい熱だ。
昨日雨に濡れて裸同然で寝たから風邪をひいたんだろう。
額に置かれたオレの手の冷たさで意識が戻ったのか、なまえが薄っすらと目を開けた。
定まらない視線でオレを捉えると、「あ⋯」と小さく声を上げて身じろいだ。
「おかえりなさい⋯、ごめんなさい、今起きます」
そう言って身体を起こそうとするが、手に力が入らないのか数回踏ん張った後結局諦めて再びソファに顔を埋めた。
「ごめんなさい、ちょっと力が入らなくて⋯」
ソファに縋るようにしがみついて、なまえは小さな声で謝罪する。
「少し休めば良くなりますから⋯」
そう言って再び目を閉じたなまえにため息を返すと、なまえの身体を抱え上げた。
なまえが驚いたように息を呑む声が聞こえたが、脱力したなまえは為す術もなくオレに身体を預けている。
胸元に凭れ掛かったなまえの身体から熱が伝わってくる。
ベッドになまえを下ろすと、布団を肩まで引っ張り上げながらなまえを見た。
「いつから具合が悪かった?」
「⋯今朝起きたときに少し寒気があって⋯」
だとすると移動中から不調を感じていたことになる。
具合が悪いなら早く言えば良かったものを、と思ったがなまえの立場では言い出せなかったのだろう。
「大人しく寝てろ」
その言葉になまえは素直に頷くと瞳を閉じた。